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2011年4月

えり坊の幼稚園

大震災や原発事故でバタバタしていましたが、その間にえり坊は幼稚園生になりました!

P1050271 入園式は、予定通り4月7日に行われました。

まさか、放射線量がこんなに高い(当時園庭で3.9マイクロシーベルト)のに、幼稚園が始まるとは思ってもいませんでした。
震災で入園準備もしていなかったので、予定通り入園式が行われることを4月に入ってから新聞で知り慌てて用意し、何とか間に合わせました。

実は、3月11日14時46分 ママがえり坊の幼稚園グッズをミシンで作っていた正にその時、東日本大震災が起きたのでした。
ちょうどえり坊のスモックを作り終え、P1050258 座布団作りに取りかかった所でした。
その曰く付きの作品がこれです↓P1050260

さて、そんなえり坊の幼稚園ライフは…
昨日、地元のテレビ局が取材に来てお友達の親子の様子が放映されました!
えり坊もチラリと遊んでいる様子が映りました。
内容は、「公園から子供たちが消えた! 屋内でストレスを抱える子供たち」といったものです。

幼稚園への行き帰りは、「肌を露出せず、帽子・マスクを着用」
幼稚園では、窓を開けることはありません。もちろん、園庭で遊ぶこともありません。
そして、「遊具や植物には触れないこと」が教育委員会からのお便りで示されています。

なるべく外気に触れないように、さち坊のときは歩いて通った幼稚園に、自転車で送迎しています。
幼稚園では車での送迎を勧めており、スクールゾーンの通行許可証の申請をしてくれたり、隣接する小学校の校庭を駐車場として開放してくれたりしています。

すぐ近くの公園は放射線量が高く利用規制がなされています。

国の基準が示されたものの、市内の公園で子供の姿を見ることはありません。

えり坊も、「お外で遊びたい!!!!」
と毎日騒いでいますが、幼稚園の行き帰り以外は外に出ることはありません。

それでも、幼稚園はやっぱり楽しくて仕方ないようで、それが何よりです!
決して広くはないけれど、お遊戯室でお友達と走り回るのが一番嬉しいそうです。

5月からは、隣接する小学校の体育館を借りて活動を始めるそうなので、とっても楽しみにしています。

それでもママは心配です。
今、一番動きたい時期の子供たちが、外気に触れることもなく、思い切り体を動かす機会も少なく、果たして成長の過程で健康に影響はないのでしょうか?
運動能力や免疫力、体力など、後々他の地域の子供たちとの違いが現れるのではないかと心配です。

外に出れば放射線の脅威があるので、仕方ないのですけど…

その放射線量も、やっと積算の予測が公表されましたね。
我が家や幼稚園のある地域では、1年後には積算して10ミリシーベルトになるそうです。
健康には影響がないとは言われても、原発事故がなければ10年分の放射線を1年で浴びると言うことですから、大人はともかく小さなたろ坊にとってはかなり大きな数字だと思うのですが。

さて、さち坊はというと、2年生になりました!
小学校もほぼ同じ対応です。
校庭で遊ぶことも体育を行うこともありません。
生活科の野菜作りも、町探検もできません。

もちろん、遠足も運動会も…

それでも、原発の避難区域からの転入生もたくさんいるのです。

いろいろな制限はあるものの、学校に行けば友達に会える。それが何より嬉しいと言ってくれるのが救いです。

不満を言えばキリがありませんが、
さち坊には学校があります。
友達もいます。
自宅から、家族のもとから通えます。

それだけでも贅沢だと感謝したいと思います。

えり坊は、始まったばかりの幼稚園生活を思い切り楽しんで欲しいと思います!

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大震災がもたらしたもの…

3月11日の東日本大震災から1月半が過ぎようとしています。

「無事」です、とお知らせしたものの、なかなかブログ再開には至りませんでした。

理由の一つは、毎日を生きることに精一杯で心の余裕がなかったこと。

そして、もう一つは健康を損ねてしまったこと。
家族全員が大なり小なり健康被害を受けました。
たろ坊は、震災直後の断水中に、全身に湿疹と水いぼができてしまいました。
さち坊も、えり坊も同様に水いぼとドライスキンで、3人とも毎週皮膚科に通院しなくてはならなくなってしましました…

ととはインフルエンザA型に感染…
避難所回りをしている会社の同僚からもらってきたようです。

我が家は福島原子力発電所から70㎞近く離れていますが、放射線量はかなり高い地域にあります。
換気扇は止め、エアコンは使わず、もちろん窓を開けるなど考えられません。洗濯物は部屋干しです。
外出は最低限に控え、子供たちは登下校以外は屋外に出ることはありません。

家の外は放射線、家の中はインフルエンザ…
一家全滅を覚悟しながら1週間を過ごしましたが、幸いにもととひとりだけで済んだようで、ホッとしています。

ところが…
思いもかけない最悪の事態が起こってしまいました。
ママの入院です。
耐えられないほどの腹痛に襲われ、腸閉塞と診断されました。
原因は、ストレスと脱水だそうです。
元々3回も帝王切開をしているので、癒着がひどく腸の動きが悪くなりやすいのだそうです。そこへ震災と原発事故のストレスで腸が弱ったのが原因ではないかと言われました。
そして、一番深刻だったのは脱水症状でした。日頃の水分不足と、腸閉塞による嘔吐でひどい脱水だったようです。
幸い、絶食と点滴だけで回復し、4日ほどで退院できました。
ただ、通院した期間も含め完全に回復するのに10日程要してしまいました。

未だに余震が続き、体に感じる地震のない日は1日たりともありません。
たった1歳半のたろ坊が、地震の度に部屋のどこからでも走ってきてこたつに潜るのです。

4歳のえり坊が、7歳のさち坊と二人で、
「今日の放射線は何マイクロシーベルト?」
「今日の風はいい風?」
と、毎朝確認しているのです。

そんな子供たち3人を残して入院したことに、胸が痛んでたまりませんでした。
夜中に余震が起きる度、病室で子供たちの様子が気になって眠れない夜を過ごしました。
こんな大変なときに一緒にそばにいてあげられないことが辛くてたまりませんでした。

震災の後、夜眠る前には、
「地震や原発の爆発が起きたら、ママが守ってあげるから。どんなことがあっても絶対一緒だから。安心して眠っていいからね。
いざとなったら、えり坊をおんぶ紐でおんぶして、たろ坊をスリングで抱っこして、さち坊はベビーカーに乗せて避難するから、だから眠っても大丈夫だよ。」
って毎晩言ってあげていたのに…

子供たちと離れることがこんなにも不安に感じるのだから、子供たちが感じる不安はいかばかりか…

ようやく週末から家族で自宅に戻り、家族が一緒にいる幸せと安心感を噛みしめています。

震災が我が家にもたらしたもの、一言で伝えるのは難しいですが、良いことだけをみれば、
生きている喜び
家族が一緒にいる幸せ
でしょうか。

これから少しずつお伝えできたら、と思っています。

我が家日住む地域は警戒区域でも、計画的避難区域でも、緊急時避難準備区域でもありません。
しかし、誰もが安全であるとは思っていません。
いつでも避難できるように暮らしています。

1日も早く、原発が収束することを願っています。

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